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スポーツのこと。フィギュアスケート、サッカーのこと。

トリノはフィギュアスケートを見よう!その2

今日のテーマは、「ミシェル・クワンの涙」です。

タラ・リピンスキー ミシェル・クワン  
タラ・リピンスキー ミシェル・クワン  

フィギュアスケートの魅力のうちのひとつに、「キス&クライ」(Kiss & Cry)というものがあります。略して、「キスクラ」。フィギュアスケートを見たことがある方なら一度は目にした事があると思います。演技終了後に、スケーターとコーチが一緒になって待機し、ある時は、不安げな顔、またある時は、期待に膨らんだ顔で採点結果と順位発表を待つエリアのことを「キスクラ」と言います。選手とコーチが長い年月をかけて二人三脚で歩いてきた喜びも悲しみも全てこの場所に凝縮され、ここに真のドラマが存在するのです。泣くものもいれば、歓喜の悲鳴をあげるものもいる。キスクラでは平静を装い、控え室でひっそり泣く選手もいます。得点に不満げな表情をする選手もいれば、得点さえ見ずにキスクラを素通りしてしまう選手もいます。観衆は、キスクラでの選手の表情を見ることが何よりの楽しみで、応援してきた選手と共に涙し、喜びや悲しみを分かち合うのです。フィギュアスケートのドラマは全てキスクラに詰まっているといっても過言ではないのです。

今回は、女子シングルのスケーター、ミシェル・クワン(Michelle Kwan)について少しだけお話してみたいと思います。クワンは、中国系アメリカ人で、現在25歳。ミスのない完璧な演技から、ミス・パーフェクトと呼ばれ、5度の世界タイトルを奪取、クワンのスパイラルは世界一のスパイラルとの呼び声が高く、紛れもない世界No.1スケーターの名を欲しいままにしています。私は、別にクワンが好きというわけではありません。彼女のスケーティング技術は確かに素晴らしいし、誰にも負けない物凄いオーラも放っています。ですが、ジャンプは低いし、別に体が柔らかいわけでもない、「クワン」というネームバリューだけであり得ないほどの高得点がはじき出される。その試合で1番素晴らしい演技をした選手にこそ優勝はあるべきなのに、ネームバリューに負けたかなと感じる試合を何試合か見ておりその度に悔しい思いをした記憶があります。

しかし、そんな憎き女王にも1度も取れていないタイトルがあります。紛れもなく、オリンピックの金メダルです。彼女は1996年に世界選手権に優勝し、1998年の長野オリンピックでは、金メダル最有力候補とされていました。当時、クワンは17歳。対抗馬は、1997年に世界選手権を制した当時15歳の妖精、タラ・リピンスキー。タラは、同10月のスケアメ、98年最終選考会となった全米選手権でもクワンに敗れ、クワン優勢とささやかれていました。

長野オリンピック当日…有力選手は面白いように演技に失敗し、アメリカの10代女王対決の一騎打ちとなりました。フリープログラム、初めに滑ったのはミシェル・クワンでミスのない完璧な演技で5.9点台をずらりと叩き出しました。この得点を超えることは当時、不可能とさえ思われました。最終滑走者から2番目のタラは、女子選手として初めて成功させたトリプルループ―トリプルループのコンビネーションを鮮やかに決め、3回転ジャンプ5種類もことごとく飛んでみせました。芸術点ではクワンに劣ったものの、技術点では 6人が5.9点台を出し、6人の審判員がリピンスキーを1位にしました。この時のタラの声にもならない歓喜の叫び声(奇声!?)は人々の心に深く刻まれたことでしょう。15歳8か月、史上最年少優勝金メダリスト誕生の瞬間でした。

タラとミシェルしかし、その華やかな舞台の裏側で流したクワンの涙は、もっと多くの人々の心を動かしたことでしょう。彼女は、涙を拭うこともせずコーチの隣で心の底から泣きました。とても綺麗で美しい涙でした。あの光景は一生忘れないでしょう。五輪終了後、タラはアマチュアを退き、10億円という巨額の契約金でプロに転向する中、クワンはソルトレークに向けてさらに磨きをかけていきます。気がつけば、5度の世界選手権優勝という歴史的な記録を打ち立てていました。

満を持して迎えた2002年ソルトレークオリンピック。誰もが信じて疑わなかったクワンの金メダルは、若干16歳、アメリカのサラ・ヒューズの大逆転劇によって再び奪われてしまいます。サラは、失敗を恐れることなしに次々とトリプルジャンプを決め、軽々としたステップで観衆を魅了し、満面の笑顔でゴールデンスマイルを披露しました。サラは、会場の人々の心を一気に掴み取ったのです。逆に、3回転コンビネーションを飛ばなくても勝てる要素のあったクワンは、3回転コンビネーションは封印し、3回転-2回転のコンビネーションに留めてきました。失うもののない挑戦者と、失うものが大きかったクワン。この両者の立場の違いが勝負の勝敗を決定したといってもいいでしょう。

2位のスルツカヤは、裏で大粒の悔し涙を流していました。彼女も長野オリンピックから出場し、以後、クワンと1位2位を争ってきたライバルです。この時の表彰式は、選手が全員揃わずになかなか始まりませんでした。表彰式が始まり、選手が入場してきたとき、目に涙を浮かべているのはクワンだけでした。表彰式が遅れたのは、きっとクワンの気持ちの整理がつかなかったからじゃないかと勝手に推測しています。クワンは表彰式で涙こそ流しませんでしたが、いまにも泣きそうな表情をしていました。サラが長年憧れていた選手は、ミシェル・クワン。サラは、そのクワンに会いにミシェルが働くレストランまで出かけていったというエピソードもあります。そのミシェルの上に立ってしまったサラの胸中は如何に…。そして後輩の隣で自国の国家を聴かなければならなかったクワンの胸中は如何に…。いろいろな思いが交錯する表彰式でした。

次の日、1位~4位の選手までが出場できるエキシビジョンにクワンは出場します。クワンは「Fields Of Gold」を熱演し、演技中に涙を流しながら滑っていました。激しい戦いから開放され、なんとも言いようのない美しさ、クワンでなければ表現できない演技がそこにはありました。あの自然で雄大な演技ができていればもしかしたらクワンは金メダルをとれたのかもしれません。

クワンは、3度目のチャレンジでトリノオリンピックに挑みます。年齢的にも、彼女にとっては最後のオリンピックとなるでしょう。クワンは現在、右臀部(でんぶ)の故障のためスケアメを欠場し、先日行われた中国杯も欠場しています。一歩出遅れた形となりましたが、彼女なら必ず世界の桧舞台に踊り出てくることでしょう。金メダルを勝ち取る日まで彼女の夢は終わらない…頑張れ、クワン!

さて、気がつけば思いっきり長い文章になってしまいましたね(^^;)。
ここまで読んでくれてどうもありがとうっ!(え!?読んでないって!?)


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コメント

長野オリンピックのフィギュアスケート覚えてるよ~!やっぱり当時15歳で金メダルに輝いたタラちゃんの衝撃はすごかったな。何気に(?)クワンに金メダル取らせてやりたかったな~って素人なりに思ってました(笑)。
ところで今、タラちゃんは何してるんだろ?見かけなくなったな。。

タラちゃん、凄かったよね♪演技終わった瞬間に(勝利を確信したのか)ダッシュし始めたしねっ!それと絶叫女王でもあったかな(笑)。タラちゃんは最近何してるんだろうね~最後に見たのは911事件の追悼式で滑ってたのを見たやつかなぁ…。

今ならながら、コメントを書かせていただきます。
上記の文章、すばらしいですね!!!
読み応えがありました。
今日、ふと本屋でフィギュアスケートの雑誌を手に取り、そこにミシェルが
東日本大震災に対するコメントを載せていて、一段と大人び美しいクワンの
姿に魅せられ、ネット検索し、このサイトに行き着きました。

私は、正直、クワンの演技はすごい!と感動したことはなかった。
でも、彼女が引退後好きになりました。
彼女の生き様に惹かれて。

ある雑誌を読んでいた時、ミシェルのことを「銀を金に変えた」と評して
いました。
オリンピックで金メダルを取れなかった悲劇の女王で終わらなかったミシェル。
タラやサラを見かけない中、ミシェルは多くのスケーターから、
慕われ、輝いている。
彼女もインタビューの中で、オリンピックで金メダルは取れなかったけれど、
その後の人生は順調に進んでいると語っていました。
努力は決して無駄にならない、と感じました。
彼女の美しい笑顔を見て、心からミシェルを賞賛したいと思いました。

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