埋もれた小学校
三宅島、阿古小学校にて。
昨日紹介した椎取神社のちょうど正反対側(裏側)にある阿古高濃度地区もまた、火山噴火による被害が甚大だった地域です。そのすさまじさを物語っているのが上写真の阿古小学校。火山の泥流によって、学校ごと埋もれてしまったのです。
そこには色のない世界が広がっていました(←え!?それはモノクロで撮ってるからだろって!?笑)。僕はあまりの凄さに言葉を失いました。
小学校の周りに舗装してある遊歩道を歩いてみると…。
「楽しかった!また来ます。がんばれ三宅島」の応援メッセージが・・・。よく見てみると、遊歩道のあちこちに観光客が書いたと思われるメッセージが・・・。僕はそのひとつひとつを読んで歩きました。どうやら、これらのメッセージは三宅島村長の許可を得て書かれたものらしい。応援メッセージを読んでいるうちに、火山噴火が他人事のように思えなくなってきました。
教室の窓からは綺麗な海が見えます。当時、小学1年生だった子は現在は中学3年生、小学6年生だった子は今はもうハタチぐらいでしょうか。この小学校跡を見るたびに当時の記憶が蘇ってくるんでしょうね。
島で出会って写真を撮らせてくれたかわいい女の子は19歳と言ってました。いま考えれば、その彼女は当時は小学5年生。こんな災害に遭ったにも関わらず、屈託のない笑顔がとても印象的でした。
溶岩で埋め尽くされた阿古地域一帯に、月日とともに草木が生えて再生することを願って、僕は阿古小学校をあとにしたのでした。
圧倒的な風景の数々ですね。
空と海の鮮やかな青さとのギャップが、
さらに荒廃した街を浮き立たせるように見えます。
地震や、火山噴火や、土砂崩れや、そういったときにいつも感じることですが、
地面の高さや、山の形や、川の流れが変わってしまう、
というのは、すごい現象でもあり、
でも昔からのその繰り返しで、今ワタシたちが生活している地形も成り立っているワケで。
ココから未来の人にとっては、この変化した地形が、もともとの地形になるってことで。
不思議なカンジがします。
上手く文章になってませんねぇ(笑)
投稿者: くずは | 2008年10月30日 12:03
> くずはさん
うんうん、三宅島は圧倒されてしまうような風景がたくさんありましたよ。ほんと、空と海が青いだけに荒廃した景色が余計に浮きだっていましたね…。自然の力っておそろしい~と感ぜずにはいられませんでした。自然の前では無力だけど、三宅島の遊歩道に書かれていた励ましのメッセージをみたとき、人間は助け合って生きているんだなぁとも思いました。
4~5年にわたる島外避難が解除されたとき、またいつ噴火するかもわからないこの島に「帰りたい」と希望した住民は9割近くいたそうです。どんな災害が起ころうとも、自分の生まれた場所はふるさとに違いないんだなぁということを強く感じました。
投稿者: コロ | 2008年11月01日 00:19